~偽善とは悪い事なのだろうか~『常識を疑え⑥』

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1.偽善

偽善(ぎぜん)とは、善良であると偽ることをいう。また、これを行う者は偽善者とよばれる。外面的には善い行為に見えても、それが本心や良心からではなく、虚栄心や利己心などから行われる事を指している。腹黒いゴマすり食わせ物という表現もある。 また、和英辞書では偽君子(snob)も hypocrite とされている場合がある。

(Wikipediaより抜粋)

 

日本語における偽善の意味として、「善を掲げつつ、その善行を行わない」という上記英語のhypocrisyの訳語のほかに、「ある善行が“真の善”ではない」という用法がある。

(Wikipediaより抜粋)

 

偽善と言う言葉を説明するのは非常に難しい。

調べれば出てくるが、今の日本で一般的に使われている偽善とは一部異なっている。

一般的に使われている偽善には複数の意味があり、その区別が非常に難しいのだ。

 

2.人に押し付ける偽善

人に善い行いをしろと押し付ける行為。

だがここからさらに2つに分かれる。

 

①自分がやっている善い行いを他人に押し付ける行為。これは場合によるが、ギリギリ「許される偽善」だろう。

 

②自分がやる気もない善い行いを、他人にやれと強要する行為、これは明らかな「」である。偽善と呼ぶのもおこがましい

なぜこれが偽善の例として書かれているのか不思議なくらいだ。

「善を掲げつつ、その善行を行わない」からここにたどり着いたが少し意味合いがずれただろうか?最適な表現が見当たりそうにない。

 

3.自身の利益の為に行う偽善。

自身の利益とは金銭であったり、自身のイメージアップであったりするが、金銭で説明するほうが分かりやすいだろう。

これをさらに3つに分けることができる。

 

①自身の利益を公表し、winwinの関係を目指す。つまりはただの商売である。

今の日本においては何故かお金を稼ぐことが悪であるかのように認識されている場合がある、だがこれは偽善と呼ばれることはあまりないようだからここでは関係ない。

 

②自身の利益を隠し、「他人の為に」と言いながら行う善。これは偽善と呼ばれるが他人の為になっているのなら良いのではないだろうか?これは「良い偽善」とでも呼ぶべきだろうか。利益を隠すことが賛否分かれそうではあるが、それは公表する義務の有無によって善悪が決められるところであろう。

 

③自身の利益を隠し、「他人の為に」と言いながら行う悪。これが「悪い偽善」であると思う。他人の為にと言いながら、実は他人に不利なことを、自分の為に行っている。

これが真の「偽善」を使うべき状況ではないだろうか。

だが、どれを偽善とすべきか、そんなことはどうでも良い。

全て偽善なのだから。場合によるという答えしか出せない。

 

4.言語は不完全である。

つまり日本語には言葉が足りていないのだ、自分の伝えたいことが伝わらない、今回は「偽善」を取り上げたが他にもたくさんあるのだろう。

 

たとえば安部首相の「そもそも」発言。踏み込めば話題が変わるから踏み込む場合は記事は分けるとしよう。

日本語から英語に訳すと複数の英語に訳すことができる言葉等もある。

これも深く話せば話題が変わる。踏み込む場合は別の記事に書くことにしよう。

 

つまり偽善が善か悪か、その前にどういう意味で偽善と言ったのか、そんなところから話を始めなければ共通の答えにはたどりつけない。たまたま答えが一致したとしても、過程が違えばどこかで綻びが生じる。

 

あなたの真意は相手に伝わっているだろうか?

日ごろから少し意識しながら生きてみると面白いかもしれない。

 

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