~お客様は神様~『常識を疑え③』
1.疑われた常識
「お客様は神様」という過去の常識は数年前からおかしいとたびたび話題になってきたかと思います。
今の時代の常識は「客と店員は対等」だと思われます。
まずは、なぜ「お客様は神様」がおかしいのか私の考えられる理由をまとめます。
①客はお金を払い、対価に商品を受け取る。
この件については議論の余地が残ります、商品価格にサービス料が含まれているか否かです。
私は「今の時代の日本では」含まれていないと考えています。
最低賃金で働いてる人が多いくらいなのにサービス料なんて入り込む余地がない。
店員が満足しておらず人手不足なのにサービス料なんて入っていない。
サービス料の支払いは海外で言うチップの概念こそが正しい。
今さら日本でチップは無理ですから、料金を上げて賃金を上げるのが正しい道と考えます。逆に賃金が上がらないから「お客様は神様」の誤った常識が消えていくのです。
②昔は正しい常識、今は誤った常識
昔と今では人口ピラミッドが違います。
労働人口が昔より減っているのです。逆に客は増えています。
働く人が多ければ
店長「お前の代わりに働く人なんていくらでもいるんだ、首になりたくなければもっと働け」という暴論もある意味では肯定せざるを得ません。
今は逆で、どこも人手不足が叫ばれる時代です。
その人が働くのを辞めてしまうとどうなるか。
困るのは変わりが見つからない店長と、店が潰れると遠くの店などに買いに行かなければいけない客です。
ただし店員も困るので、逆に振れて「店員は神様」という暴論が生まれることはありませんでした。
今インターネットで「店員は神様」を検索すると店員への感謝の記事ばかり目につきます。
「店員は神様」という暴論は見つかりません。
「今はまだ」です。
③インターネット普及による情報量の拡大による論理派の増加、感情派の減少
昔は情報量が足りずに感情に頼って判断するしかなかった事柄でも、今の時代は論理的に考えることができるという場合も増えてくるはずです。
「お客様は神様」を今なお妄信している人たちは、感情派と言うべきと考えています。
感情派が悪いわけではありません。
性格の違いだけです、どちらも尊重すべきであり、もう少しゆっくり考える癖をつけてみると、良くなることが多いのではないでしょうか。
逆に私は自分が論理派であると考えており、考えすぎることが時に悪い事だと思っていますから、どちらもやりすぎが良くないのです。
考えすぎると会話のレスポンスが遅く、暗い人間だと思われがちになります。
このブログに限って言えば、論理派であることのメリットが前面に押し出されていると言えます。感情論では書けない文章ですから。
本当は感情派の人にこそ読んでほしい、つまり理論派の人がどう考えているのか分からない人にこそ読んでほしいのですが、客層と外れそうで少し残念ではあります。
2.店員は神様もあり得る
昔の日本では「店員は神様」今の日本では「客と店員は対等」と常識を説明してきましたが、「店員は神様」という暴論も常識となり得ることも説明しておきます。
極端に品薄となり、売り物がなくなった時誰も売りたくないとなれば「店員は神様」になります。客が店員にお願いして「どうか売ってください。」という状況です。
海外では実際にあります。
労働人口が極端に減った場合も同じことになると考えられます。
「どうか働いてください。」という状況です。
「お客様は神様」が通じると誤った認識でいる人が多いほど、この時は早く訪れます。
「こんな待遇で働けるか」と労働者が減ってしまうからです。
サービス残業の問題もこれと同じです。
「こんな待遇で働けるか」と労働者がさらに減ってしまうのです。
困るのはだれでしょうか?みんな困ります。
なので労働者の待遇改善が日本の急務と思います。
話が逸れてしまいました・・・
結論:だから私は「お客様は神様」と言う意見が変えられない人とは話ができない!
若しくは「お客様は神様」を論理的に説明して貰える人とはぜひ話したいものです。