~アルバイト店員はなぜ『ありがとうございました』と言うのか~『常識を疑え②』
1.常識は疑うべきもの
タイトルのような小さな常識を説明するだけでもこれだけ長い文章を書く必要がある。
だから問題として表出するような大きな問題を議論するのは難しい。
サービス残業等の問題に切り込みたいが、今の段階ではまだ難しい。
まず最初にタイトルから誤解を招かないように言っておきます。
私の結論は『ありがとうございました』と言うべきと思っています。
言うのが常識とも思っています。
ただし、常識は疑うべきものです。
「常識だから」で済ませてしまうと本質を見失うことが多々あります。
まずは疑う理由となる事実を整理します。
①アルバイト店員は時給なので客が来ても来なくても給料は変わりません。
②客が増えれば仕事が増えるだけです。
客が居ないと店がつぶれる?なら別の店で働けばいいだけです。
アルバイトは少ししか困りません。
少し手間が増えるものの、客が別の店で買えばいいと言うのと近いですね。
ではなぜ『ありがとうございました』と言うのでしょうか?
人により様々な理由があるでしょう。
あなたはどれに当てはまるか考えてみてください。
アルバイトをしたことがない人でも想像で構いません。
私もアルバイトをしたことがないのにこんな記事を書いています(笑)
アルバイト店員はなぜ『ありがとうございました』と言うのでしょうか?
- 言ったほうが気持ちがいいから。
- 言うのが常識であるゆえに、『ありがとうございました』と言うように社員教育されているから。又は言わなければクレームを入れる人がいるから。
- そもそも『ありがとうございました』と言わない。
- 常識だから。
- 本当に感謝しているから。
他にもあればコメント等で教えてもらえると嬉しいです。
1.を選んだ人は私とは方向性が違いますが良い人だと思います。
「人の為に」という行動原理が深く根付いている人だと思います。
感情により人にとって都合よく誤認している人。
現在日本にはこういう人が多いように感じます。
みんながこう考えていたから日本が良くなってきたとも言えます。
これは一つの正解と考えられます。
人の為に良い行動を自分にとって良い行動だと思うことで幸せを感じる、それ自体を根本原理にすることができる人です。
しかしここに、別の考え方、特に3を選んだ人が混じった時、この考え方は非常に弱い立場になります。
「人の為に」が牙を剥くのは人に説明するときです。
自分が「人の為に」やっていることを人にさせたいとき、「人の為に」という理由で説明してやらせてしまうと、やらせるという行為が「人の為にならない行為」になってしまいます。
理屈抜きに感情で動く人は素早く行動や発言ができるため、実際の人数よりも声が大きくなりがちです。
あなたは本当に多数派でしょうか?一度考えてみてほしいと思います。2.のほうが実は今の日本でも多数派なのかもしれません。
2.は比較的ネガティブ意見に見えますが、そういう人もいるでしょう。
私はこれが現状最も望ましい考え方だと思います。
まず結論だけ見ると、1.と同じく自分にとって最も良い結果と他人にとって最も良い結果が一致しています。
これは日本人として普通に生きていくうえで邪魔にならない考え方ということです。
それでいて別の意見を受け入れることができるというメリットがあります。
今の日本では、中途半端に2.を選んだという本心を打ち明けてしまうと感情論で常識により排除されてしまうため、実際の人数よりも声が小さくなりがちです。
3.を選んだ人は私の知っている常識と違う常識を持ち合わせている方なのでしょうが、ここでは批判はしません。
私は2.の考え方に基づいているため、ほかの考え方を受け入れることができます。批判する気はありません。
3.を選んだ人は日本で生きていくのが難しい人たちと思います。他人に合わせることができなければ今の日本ではそれだけで排除されます。常識が独り歩きして力を持っています。
だから自分の為に、『ありがとうございました』と言うほうが良い。
この考え方をお勧めだけしておきます。
4.の人は掘り下げれば1か2なのでしょうが、深く考えずに「常識だから」で止まっている。1と同じ括りにしてもいいかもしれません。
自分でも分かっていない可能性すらあります。4.を選んだ人は2.の理由で言っている人よりも悪い部分があります。
それは何かというと3.を選んだ人に正しい教育ができないことです。
「常識だから」ということで、社員教育なんて行わないかもしれません。
ただ、3.を選んだ人と同じ時間に働いていれば指摘したくなるかもしれません。
その時に「常識だから」と言ってしまえば理由を説明することを放棄しているだけなので相手の理解を得られなくても仕方がないのです。
その行動が自分の為になると理解すれば、反発する人はいないでしょう。
常識を人に説明できるようにするためには深く知っておく必要があるのです。
4.を選んだ人に言いたいことがもう一つあります。
以前ネットサーフィンをしていてどこかでこんな書き込みを見かけました。
探しても元の書き込みが見つからなかったので自分の言葉でニュアンスだけ合わせています。
「アルバイト店員が『ありがとうございました』と言うのだから客も『ありがとうございました』と言うべき。」
アルバイト店員が『ありがとうございました』と言う理由を排除した感情論から出てくる答え。
常識が理由抜きに広がりそれをもとに新たな誤った認識が導かれてしまう例だと思います。(感情論で言えば誤りではないのですが。論理を考えながら生きている人から見れば誤り)
ほぼ全員が1.を選ぶ(「人の為に」を妄信し、それを感情論で自分の為に変換できる。)のであればこれは正しいでしょう。
ですが実際には2.が過半数かそれに近い数居ると考えられます。
客には1.3.の選択肢はありますが今は常識がないから2.4.の選択肢がなくなるのです。
つまり客の立場で見れば
1.『ありがとうございました』と言う。
2.『ありがとうございました』と言わない。
という選択肢から多数が2を選んでいます。
常識がなければ言う必要がないのです。
もちろん言ってもいいのです。
これが『ありがとうございました』を言わない客が多い理由です。
これが求めるべき自由であると思います。
「客と店員は対等」というのは常識ですが(次の記事で説明します)、社員教育や常識で言わされることもなく、クレームを入れられることもなければ言わないのが人間の本質と言うことが見えてきます。
「アルバイト店員が『ありがとうございました』と言うのだから客も『ありがとうございました』と言うべき。」
これは私ならこう言い換えます。
「客が『ありがとうございました』と言わないのだから店員も『ありがとうございました』と言わなくて良い」
ですがこの記事で説明したとおり常識があるから言うべき。
というのが最終的な結論です。
論理で言えば常識が間違えているとしても、常識であることが感情論により力を持ってしまう以上、行動をするのにコストがかからないから従うほうが良いのです。
5.を選んだ人は何の矛盾もありません、お客様の行動に感謝したから『ありがとうございました』と言った。
以上です。
感謝する基準は人によるでしょうが、スムーズに会計ができた、それだけでも感謝する人も居るかもしれません。
ですがその感謝の気持ちが伝わっていないかもしれません。
2.『ありがとうございました』がお礼の言葉ではなくなる危機。
『ありがとうございました』は感謝を表すとても便利な良い表現です。
ですが、アルバイト店員の使う『ありがとうございました』は感謝の言葉なのでしょうか?
言った人は本当に相手に感謝しているのでしょうか?
先に述べた通り、私の行動理由は2.であり、同じ考え方の人が多数居ると考えています。
声が小さくなりがちであることや、客が『ありがとうございました』とあまり言わないことを根拠に、同じ考え方の人が過半数居るかもしれないとも考えています。
2.の考え方に基づいて行動すれば、アルバイト店員の『ありがとうございました』は感謝の言葉ではなく挨拶と同じような定型文であり、既に感謝の意味は消えています。
しかしこれはもう常識が力を持ってしまったためどうすることもできません。
日常生活で使う『ありがとうございました』から感謝の気持ちが消えないことを祈るばかりです。
定型文になるとどうなるかわかりやすいのは「お疲れ様です」という言葉にあると思います。帰りの挨拶として定着し、疲れているかどうかに関係なく使われる言葉となっています。
帰りの挨拶としてふさわしい言葉がほかにあまり無いため、こちらはとても便利な定型文と思います。